JR全線乗り尽しの旅(最終回)
西山 隆(NO879)
これまでニチメン大阪社友会会報で4編5回に亘りJR乗り尽しの旅日記を紹介してきました。JR乗り尽し旅は、日帰りの旅も1回と数えると22回、延べ日数は81日に及びます。乗車した距離は延べ約4万㎞で地球一周するほどです。全てを紹介するのは不可能ですので、今回はJR乗り尽しを完結した最終の旅程と最終日の日記を掲載し、取り敢えず最終回とさせて頂きます。JR乗り尽し完結の旅は、自分としては達成感を全身で感じる感極まる旅でした。
第一日 2009年2月28日 (土) 晴
川西池田(福知山線・東海道本線)→大阪→新大阪 (東海道新幹線)→東京 (上越新幹線)→ガーラ湯沢→越後湯沢→燕三条 (弥彦線)→東三条→吉田→弥彦→吉田 (越後線)→新潟 (当地泊)
第二日 2009年3月1日 (日) 晴
新潟 (白新線)→新発田(羽越本線)→新津 (磐越西線)→会津若松 (只見線)→(上越線・信越本線)→長岡→柏崎 (当地泊)
第三日 2009年3月2日 (月) 曇
柏崎(越後線)→吉田(弥彦線)→東三条 (信越本線・上越線)→長岡→水上→高崎→渋川(吾妻線・上越線)→大前→高崎(当地泊)
第四日 2009年3月3日 (火) 曇(寒)
高崎(信越本線)→横川→高崎 (長野新幹線)→長野(信越本線・飯山線)→越後川口(上越線)→浦佐 (上越新幹線)→高崎(八高線)→高麗川→八王子 (当地泊)
第五日 2009年3月4日 (水) 曇
八王子(中央本線)→高尾→甲府→上諏訪→小淵沢 (小海線)→小諸→小海→小淵沢(中央本線)→甲府(当地泊)
第六日 2009年3月5日 (木) 晴 (最終日)
甲府(身延線)→富士(東海道本線)→奥津→浜松→豊橋→大垣→米原→尼崎 (福知山線)→川西池田(帰着)
今朝も早起き、昨夜コンビニで買ったサンドイッチなどで朝食を済ませ、甲府駅近辺を散歩する。乗車予定の時刻までの少ない時間に、是非散策しておきたかった鶴舞城公園に行く。ちょうど日の出とタイミングが合ったし、南方向に富士山が頭を出していた。幸いに天気が良く、今日は富士山とお付き合いが出来そうだ。最後のJR乗り尽くし身延線に挑戦開始、と言っても只乗っているだけのことだが。甲府発富士行(3626G)列車に乗車し、JR乗り尽くし最終ポイントの富士宮駅を目指す。車中は空いている。路線名がついている身延駅で途中下車し駅スタンプをゲット。進行方向右側に大きな荒れ川が流れている。富士川上流だろう。富士宮駅に到着、終にJR全線乗り尽くしを達成!ガッツポーズが自然に出てきた。
今回の旅は全行程順調だった。後は帰宅するのみ。東海道本線との合流駅富士駅に到着する。帰路も青春18キップを使って東海道本線を下る。島田行(431M)列車に乗車、奥津で浜松行(763M)列車に乗換える。東海道本線の東京~浜松間は横並びのロングシートなので、車内で飲食するのに難あり。人の乗り降りも激しいので、長旅をする者にとっては不都合だ。電車は空いている。最後尾の車両に乗っていたら、静岡で沢山の書類らしき荷物が積み込まれ、仕切り幕が張られ業務室化する。各停車駅で荷物が配られるように下ろされていく。新聞ではない。何なんだろうか。浜松で乗換え、(947M)列車で豊橋に、豊橋で大垣行(2519F)列車に乗換え、大垣から(233F)列車で米原に、米原から新快速播州赤穂行(3483F)で尼崎まで、尼崎から快速宝塚行(5493M)に乗換えて川西池田に無事帰着した。今回の旅は全行程座席に座れたのもラッキーだった。今日は526.1㎞走行した。帰宅すると妻が作った「JR乗り尽しおめでとう」の走り書きと後記の自転車が出迎えてくれました。(完)
あとがき:旅度々余談
JR乗り尽しの旅以外にも、愛車パジェロで全国をドライブ旅行しました。47全ての都道府県に宿泊しました。設備が良く立地が良く割安の宿舎を一宿一飯の宿にし、国民休暇村は全村泊まりました。かんぽの宿も半数以上は宿泊したと思います。国内外のパックツアーにも多々参加しました。
何故そんなに旅をするのか、言い尽くすことができないのです。旅に誘ってくれた1冊の本が有ります。「ライン河物語」岩波文庫・笹本駿二著です。この本を読んでスイスのバーデン湖からオランダの河口まで自転車で走り抜けたいとの衝動に駆られました。その理由も分かりません。ひと目惚れの恋心みたいなものです。先ずブリヂストン製の自転車を買いました。ランドナーと言う車種で、キャンピング用バイシクルと銘打っていました。キャンピンググッズも準備しました。定年になったら実行に移そうと思いました。30台後半のことでした。その頃は宝塚逆瀬川から六甲山頂まで自転車で漕ぎ上ることも出来ました。その自転車は自分が生きてきた証として今も持っています。
61歳で定年退職し、退職1年前に購入した四輪駆動のパジェロで、それまでの旅の夢としては最小限ではあるものの日本全国をドライブで走破する旅が叶いました。ライン河下りは海外パックツアーでほんの一部を船下りで実現しました。夢を大きく持っていれば、ほんの一部でも叶えられるのだと思いました。JR乗り尽しの旅は、そのような大きな夢の流れから、ほんの一部分がこぼれ出た自然な流れの旅だったと思います。定年退職後の15年間は旅三昧の暮らしでした。何のために旅をするのか、旅をして何が得られるのか、それは未だに説明は出来ませんが、人生のうちの楽しい時間でありました。



