【寄稿】昔の事件

福冨直明

推理小説にはしきりに刑事が出てくるが、実人生で刑事に出会うことは滅多にない。
1956年だったと思うが、朝の9時に緊急部長会議を行いますと社内放送が流れ、I副部長が出ていくのを見た。彼は5分もせぬうちに戻ってきて、ささやくような声で「いま警視庁の人が来るから協力するようにということだ」と言った。ほとんど同時に丸刈りの大男が入ってきて「捜査2課です。帳簿を全部出してください」という。生憎、私が営業経理の担当だったから、キャビネットから帳簿を出す。当時の帳簿は大判で厚い。刑事がそれを10冊くらいまとめて、紐でくくる。あの頃はまだ段ボール箱を使う時代ではなかった。
横に立っていたK 課長が、そんな古い帳簿を取っておいたのかと苦い顔で言うが、彼から古い書類の破棄を指示されたことはなかったので、「こういうこともあろうかと思ったので・・・」と躱した。
何の調査なのですかと刑事に訊くと、「夕刊、読んで下さい」と笑顔でこたえる。言い慣れたせりふのようだった。帳簿を運ぶのを手伝おうとしたら、大丈夫、力仕事は慣れてますからと、また笑顔。
あとで知ったが、管理職のデスクから取引先の名刺を押収していったと聞く。役人との交友関係を洗う資料である。
今になって、あのガサ入れは何だったのかと思う。確か、外米輸入に関連したことだったなと調べてみると、あの数年前から、輸入米が黄変化していることが発見され、食用として配給するか、あるいは工業用に転用するか、大問題になっていた。日綿は黄変米とは関係ないのだが、新聞社が嗅ぎまわっているうちに、日綿が数年続けて外米輸入の筆頭業者であるのに気付き、更にほじくっているうちに、食糧庁の役人と癒着しているらしいとの情報をつかみ、スクープとして記事にした。ガサ入れとスクープと、どっちが先だったか分からない。
『ニチメン100年史』を見ると、「黄変米事件で、当社の石橋鎮雄専務が、ビルマ米輸入責任者として国会に呼ばれ、野党議員から厳しく追及された。汚職の疑いをかけられて、3か月近くの取り調べを受けたが容疑は完全に晴れた」と記されているが、具体的な説明はない。
好奇心が沸いて調べてみたら、1956年11月2日に行われた第24回国会衆議院決算委員会の議事録第46号が見つかった。
吉田賢一という社会党の議員が「先月来,有名紙が外米輸入指定業者の役員が関係官僚に贈賄した趣旨で取り調べが進行中であると報じている。具体的には日綿実業取締役の石橋鎮雄君、松岡啓一君、元食糧庁の業務部長の細田茂三郎君、こういう著名な財界人並びに元高官の名がでている。刑事局長に可能な範囲でご説明願いたい」と発言。これに対し、井本臺吉刑事局長が、「同年2月18日頃細田部長の代理人として浦和の紙袋販売業者が石橋専務から30万円を収受、また、細田は農協から10万円を収受した容疑もある」と回答。
同年12月5日の第25回決算委員会で、石橋専務は、完全にシロと確定した立場で「向こうから無理やりに資金を援助してくれ、貸してくれという要請がございましたのです。ところが先方は公務員でございますので、公務員にそういうものをやることは、会社としては具合が悪いし、法律にも違反しますので、断りましたのです。ところが、あとでほかの人を中に入れて、何とかしてくれとまた依頼を受けましたので、それでああいうふうに仲介の人に差し上げた次第でございます」と述べている。つまり、官吏ではない第三者に支払う形をとったことで、刑事責任を回避したのだ。ジョン・グリシャムの小説を想起させる手法である。

(2024年4月5日)

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