【エッセイ】ナイキ社 フィル・ナイトとの再会

木村秀彰(67141)

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私たち夫婦は今年、結婚50周年を迎えるにあたり、これを記念して1977年から1990年の間を過ごしたオレゴン州ポートランドに旅行することを決めました。ポートランドでは昔住んでいた隣人に会ったり、仕事の関係者で懇意にしていた人に会ったり、さらには私たちが愛したオレゴンコースト、シアトルなどを訪ねる計画を立てました。

旅行の日程を決める3月頃にナイキ社のフィリップ・ナイトの秘書と連絡を取り、6月にポートランドを訪問する予定を伝えました。長年会っていなかったフィルに再会したいと伝えると、迅速に返事があり、フィルも喜んで会いたいとのお返事がありました。

私たちはダラスで息子に合流し、3人でポートランドに入りました。約束の6月20日にナイキキャンパスを訪れました。私たちがフィルに会ったのは約30年ぶりで、当時専務であった草道元社長と共に、ナイキジャパンの株式譲渡交渉の最初の会議でした。

フィル専用の会議室に案内され、久しぶりにフィルと対面しました。彼は私たちを驚きと喜びの表情で迎えてくれました。30年ぶりの再会とあって、話題は尽きることなく、約1時間をフィルと昔話に費やしました。特に、話題はNIKEの発展に貢献したジェフ・ジョンソンや故人のロブ・ストラッサー、皇先輩などに及び、フィルの父親とのゴルフの思い出、私が税関と直接向き合ったASP(*1)の問題からナイキの株式公開まで幅広い話題がありました。

*1 ASP
American Selling Priceの略で、化学製品の一部、ゴム底布靴、毛編手袋、あさり缶詰の4品目について、輸入品の実際のFOB価格によらず、米国産品の米国内での販売価額をベースに関税評価を行う制度で現在廃止されています。

面談後、フィルの秘書が手配してくれたツアーでは、ナイキの歴史に触れる貴重な体験が待っていました。キャンパス内を案内してくれたガイドは、ナイキの象徴的な建物や展示物について詳しく説明してくれました。息子も大いに喜び、かつての名作スニーカーや最新のコレクションを見て回りました。私自身も、思い出の詰まったアイテムを見ることで昔を思い出しました。

ナイキのキャンパスは本当に印象的でした。移転当時の70エーカーの敷地は現在300エーカーに広がり、約30棟の建物が立ち並び、中にはオレゴン州最大の建物もありました。私たちのツアーガイドは、ゴルフカートのような乗り物でキャンパス内を案内してくれました。見学したのはキャンパスの一部でしたが、その壮観さには圧倒されました。

キャフェテリアは数カ所ありましたが、具体的な数は聞いていませんでした。それぞれが広々とした空間で、企業の食堂とは異なる、まるで大学キャンパスのような雰囲気でした。ガイドの説明によると、キャンパス全体がフィルの意向でデザインされ、創造的な空間として整備されているとのことでした。

日商岩井ガーデンも案内してくれました。ナイキが現在地に移転した際に、日商岩井が寄贈した石灯籠を見ることができました。その石灯籠は私が駐在していた当時に手配したものであり、その感慨深さは言葉では表現できませんでした。さらに、ガイドだけでなく、2〜3人のナイキ社員と話す機会がありました。彼らとの会話を通じて、ナイキの歴史と価値観を再確認することができました。特に、私が日商岩井でポートランドに駐在していたことを話すと、彼らから感謝の言葉を頂きました。おそらく、フィルが書かれた『シュードッグ』を通じて日商岩井を知ったのでしょう。その交流は、過去と現在がどのようにつながっているかを実感する貴重な時間でした。

ツアーの後、私たちはNIKEのカンパニーストアでショッピングを楽しみました。フィルは私たちの訪問を大変喜んでくれて、再会はこのような素晴らしい環境でさらに特別なものとなりました。彼のビジョンとリーダーシップがいかに大きな影響を与えているかを改めて感じることができました。この再会を通じて、私たちは過去と現在が結びつく瞬間を共有し、新たなエネルギーを得ることができました。NIKEが創り出した絆と価値を再確認することができた、貴重な旅でした。

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