【寄稿】観音信仰に導かれ

長谷川 知司(68215)

退社して20年、故郷長浜市に帰り、そろそろ後生を考える歳になった。完全に仕事を離れて10数年、寺の役員を務め仏教へ繋がるご縁をいただいた。当初は真宗大谷派の東本願寺での2泊の研修会で、これまでの人生が否定され、素直に真宗大谷派には馴染めなかった。

6年前に国宝「11面観世音菩薩」維持保存協賛会の理事に推薦され、必要に駆られ、関西地区の寺院巡り、地元の歴史の検索を行い、ここ長浜市が日本の仏教史上で恵まれた地域であることを知った。
スペースの限界もあり、簡単に記すが、ここ長浜市は奈良の法隆寺と同じ年代の寺院跡も確認され、仏教史上で著名な行基、泰澄、最澄等の高僧が興した寺院も多く天台宗の領地として栄え、平安時代に彫られた仏像は、戦国時代、織田信長に焼かれた寺院、仏像も多いが、それでも残っている仏像の数は全国で一番である。
更に鎌倉時代以降には法然、親鸞、蓮如で広まった浄土宗、徳川家康に取り入り、真宗大谷派を興した教如を助けた檀家の人々、ここ長浜市は各家に仏壇を構える真宗大国とも言われている。つまり、平安時代から室町時代まではここ長浜市は天台宗のお寺が多く、戦国時代に殆どの寺は焼かれ、人々が守った仏像は品祖な草堂に安置し村の氏仏として守り、徳川時代に真宗大谷派に改宗しても、引き続き同じように守ってきた人々の深く重い歴史がある。

時々、観音さんの案内をしていると、この地区は観音信仰が厚い地域ですね、と言われますが、村の人々は、ただ昔から伝わってきた観音さんをお守りしているにすぎません。当然のように、真宗大谷派の御経を上げています。それがここの地区で500年続いた伝統,しきたりなのです。矛盾とは考えず、先祖から授かった、村のお守りとして後世に引き継ぐことだけを考えているだけなのです。それが観音信仰といえるかもしれません。つまり、長い歴史の中で生まれた風習、伝統、それがこの地区の「土徳」なのです。

確かに、観音経は現生利益を伝え、一方の真宗大谷派は後世利益を伝えるので正に対照的です。「仏説11面観音神呪経」では10種類の現生利益と4種類の来生での果報を挙げています。中身は都合の良いご利益ばかりです。
日本全国で「11面観音像」が一番多く彫られた訳はこの現生でのご利益のお陰でしょう。いまだに一番人気のあるのも理解できます。ここ長浜市には、国宝を含め20数体の「11面観音菩薩」像が現存しています。

法然の浄土宗は「一心専念弥陀名号」、つまり阿弥陀如来の誓いを信じ、ありがたいと喜びつつ称名念仏を唱えれば必ずや極楽に往生できる、他力本願なのです。
正にここ長浜の人々はこの二つの宗派を理屈なしで受け入れ、寧ろ現生も、後世も二つの宗派に守られる事を喜びとして感じているのかも知れません。
それが長く続く由縁であり、無意識のままに根づいた観音信仰に新たな真宗が融合した特別な領域で、生まれた文化、感性が「土徳」で、これが真の意味での「仏心」つまりこの地区の「観音信仰」ではと思うのです。

正直、私も毎日、仏壇にお参りして自然に称名念仏を称えるまでには至っていませんし、ここ数年前までは相変わらず、ありがたいはずの聴聞も心を打ちませんでした。

最近になって、難しい談義を重ねるのでなく、観音さんにお参りいただいた、拝観者皆さんと観音さんを通じて、何気ない会話のやり取り、人と人との繋がり、そこで生まれる、充実感というか安堵感が先人の領域で、長い歴史の中で伝わってきた郷土愛を少しずつ感じるようになってきました。
その郷土愛こそが観音信仰に導かれた「土徳」であり、理屈を超えた仏信、仏の願い、教えと思うのです。

最初は、馴染めなかった仏教も理屈でなく、日々、日常生活の中で又、観音さんにお参りいただいた皆さんに、お助けをいただきながら、素直に向きあい、やっと自分も先人の域に少しは近づけたのかなと思いながら、後生への道を急がず、ゆっくりとゆっくりと歩みたいものです。

2024年8月30日
日商岩井OB(木材部)

目次